葬儀の際に読まれる弔辞は「故人への手紙」とも言われています。
故人と深く関わりのあった方が読むその弔辞は、故人との思い出や参列者や親族も知ることのなかった一面が垣間見えるエピソードが読まれることもあります。
弔辞を聞いて親族や参列者は故人の意外な一面をあらためて知ったり、生前の故人に思いを馳せることになるでしょう。
弔辞を依頼されたら何をどう言葉にするべきか、弔辞のマナーと、故人との深いつながりがあるからこそ読める感動の弔辞について有名人の読んだ弔辞から考えて行きたいと思います。
弔辞を依頼されたら断らない
遺族は、個人との関係を考えて、是非にと思う人に依頼しますので、弔辞を頼まれたらよほどのことがない限り引き受けるのが礼儀です。
弔辞は予め遺族から依頼された人が代表として読むことになり、3~5人を代表として選びますがその人数は葬儀の規模によって異なります。
弔辞の書き方
故人の人柄や業績をたたえ、感謝の気持や残された者の決意などを述べて遺族への慰めと、故人への別れの言葉で結ぶのが一般的な形式です。
とはいってもいざそれらを言葉にするのは難しいもの。
忌み言葉や美辞麗句に気をつけて
忌み言葉とは「重ね重ね」や「いよいよ」「度々」「ますます」などの言葉で不幸が重なることを連想させると言われています。
他にも「再び」「追って」などの続くことを連想させる言葉などがあり、うっかり使ってしまいそうな言葉もあります。
忌み言葉の例
不幸が重なることを連想させる |
重ね重ね・いよいよ・ますます・たびたび・かえすがえす など |
---|---|
不幸が続くことを連想させる言葉 |
再び・つづく・追って など |
直接的な表現 | 死亡・死去・死ぬ など |
オーバーな表現 | とんだこと・浮かばれぬ など |
音が不吉な言葉 | 四・九 など |
「かえすがえすも残念」などという表現を耳にしたことがありますが、この言葉は「誠に残念」などに言い換えましょう。
他にも「存命中」という言葉もよく使われているようですが、「ご生前」などに言い換えたほうがよいでしょう。
また、美辞麗句とは巧みにそれらしく繕った言葉や真実味のない言葉のことで、話を盛ったり、表向きは相手をたてているように聞こえて実は自分を持ち上げる・気分良くなるような弔辞であったり、せっかく故人との関係性をみて遺族が代表にと願ったのに形式的な内容で収まってしまわないように注意が必要です。
要するにご立派な言葉を並べ立てて上っ面だけにならないようにしましょうということです。
故人との深い繋がりがあるからこその、ありのままの言葉で聞く人の心に染みた弔辞といえば、カンニング竹山さんの弔辞を思い浮かべます。以下全文。
おい良かったな!みんなお前 みんな見に来てよるよ、お前 なんかさ、マスコミとかも、すごいぞなんか昔全然こんなんじゃなかったのに凄いことになっとる!
おまえに 昔お前に辞めようって話したときにでもなんかこう芸能界の前に爪跡だけ残して辞めようって話しして…爪跡どころじゃなくなっとるよ!何か色々なあ俺とお前の何か感動秘話みたいになっていっぱい流されよるけども俺はお前がもう何て言いよるかもうわかるわ
「気持ち悪いなあ」ってお前笑いよると思うんよ 俺もそう思っとるよ
俺はお前と なあ二人でコンビ組んで
ずっとねこうやって 漫才とかやれて お笑い芸人になって
やれたことが本当に幸せやった ありがとう
もういつ そっちに往くか、もうわからんけども
俺がまたそっちに往ったらまたやろうや
いいかお前な、待っとけ!
…ありがとう じゃあな …いつもと同んなじように別れるぞ じゃあな!
美辞麗句は一切なし。
自分自身と故人のためだけに捧げられたようなこの弔辞は、マナー本やネットに飛び交う「弔辞とはこうあるべき」を見事に払拭しています。
まるで目の前に相手がいるような、弔辞というよりはごく自然な会話のようです。
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「なぜ自分が弔辞を読むのか」
それは弔辞という短い言葉の中で故人を想い、その死を悲しみ、かけがえのない存在であったということを伝えることで、それこそが遺族への何よりの慰めになると感じます。
言葉選びや振る舞いなど、特に悲しみの場にいる際には配慮はもちろん必要です。
しかし、弔辞のマナーうんぬんに囚われすぎて形式ばったどこかのサイトから引用したような弔辞では寂しいものです。
弔辞は故人への最後の手紙。どうぞ生前の故人を目の前に思い浮かべて素直な感情で故人に語りかけてはいかがでしょうか。
どうか弔辞を依頼されたときには遺族がなぜ自分にと思われたのか故人との思い出を思い返してみてください。
↓タモリさんの弔辞も紹介していますのでこちらも参考にどうぞ↓